脳死判定は可能か


ツイッターで見た「英国:四人の専門医が「脳死」と判断した10代の患者が完全に回復する。」というニュースの元記事を読んだ後で、sivadさんのブログ「赤の女王とお茶を」の『「脳死は人の死か」という以前に「脳死判定が本当に脳の死を意味しているのか」が問題』という記事を読んだ。



ティーブン・ソープ君はひどい交通事故にあい、両親は医師から脳死を宣告された。 延命装置を外し、臓器提供について考えてみるよう言われたが、彼の両親はまだ息子の意識があると感じ、同意しなかった。 もしその時医師の言葉をそのまま真に受けていたら今頃彼の臓器は他の誰かの体の一部として生きていることになる。 両親がコンタクトを取った医師を通して、別の神経科医がもう一度調べたところかすかな反応が見られ、2週間後に昏睡から目覚めた。 CTスキャンなどを見る限り、脳は深刻な損傷を受けており、これほどのダメージからの回復は通常ありえない、というのだが、実際に起こったのは事実。

X Factor 2011(オーストラリア) エマニュエル・ケリーが歌う「イマジン」

(動画のタイトルがアデルの曲になっているが、ジョン・レノンの「イマジン」の間違い。)


17歳の学生と紹介されたエマニュエルだが、審査員に改めて年齢を聞かれると「正確にはわからない。」と答え、イラクの戦闘地域で兄と孤児院にいた所を今の母親が引き取ってくれたと説明。 彼とお兄さんの満面の笑顔を見ているとどれだけお母さんが愛情を注いできたのかが伝わってくる。 


「母は苦労して僕たちの人生を変えてくれた。 僕のヒーローなんだ。」と話すエマニュエル。 本当に優しそうなお母さんが舞台袖で心配そうに見守っている姿にじんときた。 戦地で孤児となり、手足に障害を持つ2人を、どれほど心を砕いて育ててきたのだろう。 



戦争がなければ、故郷イラクで幸せに暮らしていたかもしれない彼が歌う「イマジン」はひときわ胸を打つ。 歌っている途中から観客は立ち始め喝采がやまない。 残念ながら決勝までは進まなかったが、アメリカの大学に招かれてコンサートをしたりして音楽活動が始まっている模様。

「アメイジング・グレイス」

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多分殆どの人が聴いたことがあるこの曲。 奴隷貿易を行っていた船長がその過去を悔やみ、神への感謝の気持ちを込めて作られた曲だったと知りびっくり。 (何を神に感謝するのだろう…) 


この映画は、奴隷貿易の撤廃に尽力したあるイギリスの政治家ウィリアム・ウィルバーフォースが主人公として描かれている。 奴隷貿易法(奴隷貿易を違法と定め、イギリス船で奴隷が見つかった場合の科料は1人あたり100ポンドとされた)は1807年3月に国王の裁可を受け成立したが、それはウィルバーフォースが20年に及ぶ運動を続けた結実だった。 彼はその後もさらに活動を続ける。


1824年に健康を損ね議員を辞職するが、仲間との連携は続き彼らを訪ねたりしている。 1833年7月26日、彼は奴隷制廃止法案がようやく庶民院の第3読会を通過したことを聞いて大変喜んだ。その翌日、彼はさらに衰弱し、7月29日早朝死亡した。1か月後、グレイ伯の政権下で議会は英帝国にいる全ての奴隷に自由を与える奴隷制廃止法を成立させた。


作品の中でウィルバーフォースが奴隷について「我々が猿で彼らが人間」という言葉があるようだが、当然彼への妨害は半端なく、長い闘いだった。 イギリスでの奴隷廃止への道のりは全く知らなかった。 連休が終わってから借りてみようかな。

「遺体−震災、津波の果てに」石井 光太著 その1


遺体―震災、津波の果てに
石井 光太
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(「ブック・アサヒ・コム」の書籍紹介より抜粋)
著者は、大手メディアが真正面から採り上げることのなかった「遺体」と「遺体を取り巻く人々」に焦点を当てた。誰が遺体を発見し、誰が遺体を毛布で包み、誰が遺体を安置所に運んだか。誰が遺体を検案し、誰が遺族に対応し、誰が埋葬の手配をしたか。誰が祭壇を作り、誰が火葬場に搬送し、誰が読経したのか。市の半分が津波の被害を免れて行政機能が無事だったために、市民が自らの手で友人や知人を弔うことになった岩手県釜石市の遺体安置所を舞台に、そこで働いた人々の視点を通して震災後約3週間の日々を再現したのである。


 安置所となったのは、5年前に廃校になった旧・釜石第二中学校(旧二中)。葬儀社で働いた経験がある民生委員の千葉淳が、混乱を極める安置所の調整役をかって出た。これまで何千という遺体を見送った経験のある自分ならできることがあるかもしれない。地元に恩返しできるのは今しかない。そんな思いから市長に直談判したのだった。
 次々と運ばれてくる遺体を前に狼狽(ろうばい)を隠せない市の職員たちを励まし、遺体の扱い方や遺族との接し方を教える。遺体を確認しに来た遺族には、「亡くなった方はご家族に迎えに来てもらえてとても喜んでいると思います」と声をかけ、遺(のこ)された人々が少しでも前に進めるようそっと支えた。


 ベテランの医師や歯科医師でも、これほどの検死や歯形確認を行うのは初めてである。遺族のむせび泣く声を背中に感じながら、「仕事に集中しろ」と自分に言い聞かせ、黙々と作業を進める。それでも苦しそうに顔を歪(ゆが)めた遺体の中に、友人や自分の患者を見つけたときはさすがに体が凍り付き、彼らの無念を思って感情があふれ出しそうになった。

遺体安置所となった旧二中で冷たくなった家族を見つけてしまった遺族に、市の職員はどう対応していいかわからなかった。 それはそうだろう。 そんな仕事をすることになるなんて誰が想像しただろう。 「自分が助けていたら」と、泣いて自分を責める人にかける言葉なんてあるのか。 そもそも言葉をかけていいのか。 どうすることがベストなのか、何もすべきではないのか、全く見当がつかない時に、葬儀社で働いた経験のある千葉さんがボランティアを買って出てくれた。 どれほど心強かったことか。


遺体を確認したからといって、家に連れて帰ることはできない。 帰りたくても家を失った人も多かった。 電気が止まって火葬もできない。 遺体は体育館に置き去りにしていかないといけない。 遺体が傷まないように暖房も入らず、歯がカチカチ鳴るほど寒い所へ置いていくのだ。 中にはどうしても連れて帰る、と遺体のそばから離れない人もいた。 普通なら逃げたくなるような状況へ自ら飛び込み、千葉さんは遺族に声をかけ続け、励まし続けた。 


「亡くなった方はご家族に迎えに来てもらえてとても喜んでいると思います。 急にお顔がやさしくなったような気がします。これからは毎日会いに来てあげてください。 きっと故人の顔はもっと和らいできますから。」と優しく声をかけ、自分を繰り返し責めてしまう遺族の気持ちが楽になるような言葉をかけ続けた。

市の職員たちはそうした千葉の行動を目にして、見よう見真似で自分でも家族にはなしかけるようになった。 千葉も彼らに遺族の心理状態や励まし方について積極的に助言をした。 あの母親は毎日死んだ子に会いに来ているから交替でなぐさめよう、とか、あの遺体は夫婦だから一緒に並べよう、と。 職員たちにも自覚が芽生え、ときには自分たちの意思で集まってどうするかと相談するようになっていった。

ある時千葉がふと気がつくと、体育館の正面に祭壇が設けられていた。 学習机が並べられ、その上に金魚蜂に土を入れた香炉の代用品が置いてあった。 職員達がアイデアを出し合ってつくったのだろう。


真心の、手作りの祭壇を見た遺族の方達はどれほど有難かったことだろう。 どんな豪華な、立派な祭壇より、温かく、美しかったに違いないと思う。


千葉さんは遺族だけではなく、遺体にも声をかけ続けた。 遺体の名前を覚え、生きている人と同じように接した。 子供の遺体には「実君、昨晩はずっとここにいて寒かっただろ。ごめんな。 今日こそ、お父さんやお母さんが探しにやってきてくれるといいな。 そしたら、実君はどんなお話をするつもりだ? 今から考えておきなよ。」 隣にいる妊婦さんの遺体には、「幸子ママは、大槌町に住んでいたんだね。 一晩、寒い所でよく頑張ってくれたね。 ママのお陰で、お腹の赤ちゃんは寒くなかったんじゃないかな。 この子はとっても感謝しているはずだよ。 天国へ逝ったら、今度こそ無事に赤ちゃんを産んであげるんだよ。 暖かい所でのびのびと育ててあげなよ。そしていつか僕がそっちにいったときに大きくなった赤ちゃんを見せておくれ」と。


千葉さんはただ葬儀社で働いた経験があるからという理由でこれほど心のこもった語りかけが出来たわけではなかった。バブルが崩壊し少子高齢化が進んだ港町で取り扱う事が多くなったのは、誰にも看取られず一人で死んでいく老人たちだった。 遺族に連絡がついても、都会に働きに出ていてすぐ駆けつけることができない。 やむを得ず、千葉さんが腐乱した遺体から蛆を一匹ずつピンセットで取り除いた後に棺に納め、遺族が来るまでの間は葬儀社のホールに何日も安置するしかなかった。 

千葉はこうした遺体を見るたびに胸を痛めた。 八十年、九十年、必死になって子供や町のために働いてきてどうしてこんな最期を遂げなければならないのか。 千葉は蛆に食い荒らされた老人をせめて人間らしく扱いたいと思い、遺族がくるまで代わりに自分が遺体に言葉をかけることにした。 手があく度に、町の状況やその日の出来事を語って聞かせる。そうしていると穴だらけの変色した遺体が生前のように喜んだり、悲しんだりするように見えたのだ。


優しい人なんだと思う。 優しくて何かせずにはおれない人なのだ。 そういう優しい人がこの本にはたくさん登場する。 そして多くの優しい人が人を助けようとして、守ろうとして、自分の命を落とすのが津波なのか。 悲しい場面も多いが、人の優しさや強さに胸を打たれる場面も多い本。 脚色や演出を排除しようとする筆者の気持ちが感じられてかえって心に響く。

アメリカン・アイドル シーズン11

去年は地方予選から観ていたのに、今年は知らない間にベスト7まで進んでいた。 


何とまだ16歳のジェシカ。 ホイットニー・ヒューストンの名曲を自然体で歌っていて凄いの一言。 観客の喝采もすごいし、審査員達も大興奮。 ジェニファー・ロペスは感動で涙。 フィリピンの人ってずば抜けて歌が上手い人が多いような気がする。 アーネル・ピネダ、シャリース、ジェダイ…  皆声量が豊かで声がすごく伸びる。 ジェシカは決勝まで行って欲しいなぁ。 彼女の歌をもっと聴きたい



こちらは20歳になったばかりのジョシュア。 もうプロ並み。 3人の審査員も立って拍手して大絶賛だった。



人気のあるフィリップとエリーズのデュエット。 フィリップはお父さんの質店で働いていたらしく、そのお店は大繁盛している模様。 フィリップが触った商品を売ってくれ、というお客さんがたえないようですでにアイドル。

「6歳が父の医療費80万円稼ぐ、1杯20円のレモネードを自宅の前で販売。」

ニコニコニュース

2chで紹介されていたエピソード。 自分の子供にこんな事されたらバスタオルがいるぐらい泣くだろうなぁ。

米国では、子どもが小遣いを稼ぐためにレモネードを販売するという話がよく聞かれる。また、お金を必要としている人を助けるために寄付集めの目的で行われるケースも少なくないが、ある6歳の少年はがんを患った父親の医療費をサポートしたいと、先日レモネード販売を行った。すると1日で1万ドル(約80万円)以上ものお金が集まったそうで、米国内で話題を呼んでいるようだ。

この少年はテキサス州グレードウォーターに住むドリュー・コックスくん。米放送局NBCやKLTVなどによると、彼の父ランディさんは今年2月、精上皮腫というがんに侵されていると診断された。ランディさんの場合は上半身の数か所にも腫瘍が見つかったが、化学療法を続ければ改善の見込みが高いと見られているという。

ランディさんの治療代を稼ごうと、ドリュー君は1杯25セント(約20円)のレモネードを販売する事を考えた。

家の場所も良かったようで、「看板に気が付いて買いに寄る」ドライバーも多く並んだ結果、彼のレモネードは飛ぶように売れた。中には話を知って「数十マイルも離れた場所」から駆けつける人もいたほか、販売の目的を知ってレモネードを「5,000ドル(約41万円)の小切手」で買う客も現れたおかげで、最終的にわずか1日で1万ドル以上のお金を稼いだ。

息子の計画を聞いただけでも「泣かされた」という父親に、6歳にしてお金の面で大きな心強さを与えたドリューくん。そんな息子をランディさんは「本当に利口」とも話し、長男の彼を含め小さな3人の子どもたちのためにも、病気に対して前向きに闘う勇気が膨らんだようだ。