Journey with Arnel Pineda

フィリピン人のアーネル・ピネダがジャーニーのボーカルとして加入したのが2007年秋。 ジャーニーのカリスマ・ボーカリスト、スティーブ・ペリーが抜けた後、低迷していたバンドを救った。 アーネルは13歳で母を亡くし、その後一家離散、ホームレスの生活を経て、歌手として活動。 香港で歌っていたころは麻薬中毒にもなった。 友人がYouTubeに投稿した動画をジャーニーのニール・ショーンが見つけ、すぐオーディションになり、あっという間に新しいフロントマンとして迎えられ、その後は大活躍している。 ニール・ショーンからの電話は悪質ないたずらかと思ったそうだ。 ジャーニーに加わった時、40歳になっていたアーネルがあるインタビューで「僕は幸運だと思う。でも、ここに至るまで26年待ったんだ。」と答えていたのが忘れられない。
 


アーネルとスティーブ・ペリーの両方の声が堪能できる動画。 2人とも素晴らしい。




去年アメリカン・アイドルの審査をしていたエレンの番組に出た時の動画。




CBSのインタビュー。 少し長くて英語のものだけど、アーネルの人柄や、メンバーが彼の加入をとても喜んでいるのが伝わってくる。 4分15秒ぐらいにアーネルがスティングの「ロクサーヌ」を歌っている動画が少し流れるが、これがとても上手い。 お母さんの話しになり、涙ぐむ彼の姿にじんときた。 アーネルと接した人の多くはその謙虚さを讃える。  ジョナサン・ケインは、「彼といる成長できる。(He makes me a better guy.)」と話す。 


アーネルが歌うYouTubeの動画を見ると、スティーブ・ペリーを崇拝しているジャーニーファンからは「アーネルむかつく」や「フィリピンへ帰れ」のようなコメントが多数あり、それに対して「アーネルがいなければジャーニーは過去のバンドになっていた」、「彼はただ歌が上手いだけじゃない。人間としても立派だ。」と擁護する人もいて対立しているような雰囲気も感じる。 そして「スティーブもアーネルも偉大なシンガーだ。 この2人の歌を楽しもうじゃないか。」という中立派(?)みたいな人も登場する。 アーネル自身は「僕を嫌う人がいるのは知っている。 出身地について差別的なことを言われることもあるけど、スティーブ・ペリーは僕にとってもヒーローであり、アイドルだ。 彼を尊敬しているし、ジャーニーのメンバーになれたことに心から感謝しているし、これからもずっと歌っていきたい。」とコメントしている。 


私は高校のころジャーニーが好きだった時期がある。 スティーブ・ペリーの声もなつかしいし、嫌いじゃない。 が、アーネルのこれまでの苦労などを知った後は、やっぱり応援したくなるし、本当に歌が上手いと思う。 ニール・ショーンも「彼には歌えない曲はないよ。」と言っているが、YouTubeで見られる昔の動画などを見てもエア・サプライやアン・ウィルソンまで惚れ惚れするぐらい歌いこなす。 


アーネルびいきなのは、フィリピンに縁を感じているのもあるかもしれない。 私が初めて行った外国がフィリピンなのだ。 1度目は仕事で(といっても社長にくっついて顧客をまわっただけだったが)、その時接した人たちは大企業の幹部ばかり。 子供一人ずつに専属のメイドさんがいるような人ばかりだった。 2度目は友人が国連の研修のような仕事でユニセフに勤務していた時。 彼女はストリートチルドレンの支援をやっていて、「私がいる間においでよ」と呼んでくれたので、1週間ほど訪ねて行った。 そこで、最初にフィリピンに行った時に出会った人達とは対極にいる人たちと知り合った。 


友人は、ゴミ廃棄場で識字学校を運営している女性もサポートしていて、私も度々通った。 悪名高いスモーキー・マウンテンより悲惨と言われたパヤタスという廃棄場周辺に暮らす人たち。 パヤタスで生まれた子供たちは、5歳にもなれば朝からゴミの山へ登り、換金できそうなものなら何でも拾う。 ゴミの山で発見するのはゴミだけではない。 赤ちゃんも見つかる。 たった1週間の滞在だったが、ゴミの山で見つかった瀕死の状態の赤ちゃんを引き取って育てているという4人と出会った。 彼らはみな大変貧しく、自分たちの食事もままならない。 だが、困っている人がいたら見て見ぬふりはしない。 というか出来ない、といった方があっているような気がする。 悲惨な状況にある子供や人や動物を他人事に思えないのだと思う。 


私が尋ねた頃、7歳ぐらいの女の子がある家庭に育てられていた。 友人いわく、その女の子も生後1カ月程度の時にポリ袋に入れられてゴミ運搬トラックに乗せられてやってきた。 あと数時間で亡くなっていただろうと思うぐらい衰弱していたそうだ。 その女の子は色白で、何となく周りの同じ年ぐらいの子と顔立ちが違うな、と思っていたら、「父親は恐らく日本人。 商社マンや企業の駐在員、中には売春目的のツアーで来た男性が現地の女性を妊娠させて、そのまま帰国してしまうことがざらにある。」と怒りのにじむ声で話してくれた。   


フィリピンは貧富の差が激しく、経済的に厳しい生活を送っている人が多い。 度々どん底の生活を経験したアーネルが26年間あきらめなかった、自分の歌を多くの人に聴いてもらうという夢を叶えた。 ジャーニーの代表曲の一つに「Don't stop believin'」があるが、アーネルよりこの歌にふさわしい人はいないのではないかと思う。


2008年2月、チリでのコンサート。 確かこれがアーネルのデビューライブだったような気がする。 (違ってたらごめんなさい。)