3.11

去年、あの津波が起きた時、私は息子とたまたま学校帰りに家電店にいた。 用事を済ませて帰ろうと思いテレビ売り場の前を通った時、何十台もの大きなテレビスクリーンに一斉に津波の映像がうつされているのを見て、最初はわけがわからなかった。 「地震による津波」が、東北で起こっているとわかり、愕然としたのを覚えている。 帰宅しても気が動転して落ち着かず、とりあえず母に電話して、関東方面の親戚や知人で無事がわかった人がいるか聞いたりしたが、これから起こるであろう余震やいろいろなことを考えるといてもたってもいられない気持ちになった。 被害が少しでも小さく済むように、犠牲になる人が一人でも少ないように、ただただ祈った。 


私は神戸で地震を経験したが、津波は全くわからず、想像もつかない。 どんなに怖い思いをされたことだろう。 大好きな家が、町が、ヘドロまみれになるのを見るのはどんなに悔しいだろう。 今まで見慣れた景色が突然変わる、ということの精神的なショックやダメージは大きい、という事を私は自分の経験を通して知った。 破壊された家や街を見なければいけない、というのはかなり辛い。 当時私が思ったのは、自然災害で家や町が壊れてもこれほど憤りを感じるのに、戦争で自分の住む家や村が破壊されたらどれほどの憎悪を持つだろう、という事だった。 「意図的」に殺す、誰かの生きる環境を壊す、ということがどれほど酷い、許されないことか、そういう事を度々感じた。


神戸で被災した時、私はテレビを持っていなかったし、携帯もネットもない時代だったから、情報源は固定電話とラジオだけというシンプルな生活だった。 その後結婚して、テレビのある生活になり、ある年の1月に「あの地震から●年」みたいなドキュメンタリー番組を偶然目にした時の自分の反応に驚いた。 座っていることができなくなり、うろうろしながら涙が出てとまらず、パニックと言えば大げさだけど、自分でもどうしていいかわからなくなった。 今でもそういう特集番組のようなものは見たくないし、被災地へ行って「一年たちましたね」みたいなインタビューをするメディアは本当に慎重に行って欲しい。 どんな思いでこの一年を生きてきたか、想像したって出来るものではない。 前を向いて生きる事は大事だと思うし、必要なのだと思う。 が、まだ喪に服したいと思う人の気持ちも同じくらい大切だと思う。 



R&Bシンガーのアーロン・ネヴィルのアヴェ・マリア。 彼も2005年のハリケーンで自宅が全壊。 ぜんそくの持病があり、故郷のニューオーリーンズへしばらく戻れなかった。 70歳を超えた今も現役で、刑務所を訪ねて歌ったりしている。 とても優しい、温もりのある声が好き。