「安心して絶望できる人生」向谷地生良 浦河べてるの家

「個人苦」から「世界苦」へ

中学時代の向谷地さんは、生意気だ、反抗的だといって随分殴られた経験を持ち、人間関係の難しさに苦しむ。

ところが、不思議なことに、八方塞りの憂いの感覚が、なぜか自暴自棄な感情や生き方につながらずに、やり過ごすことができました。それは、私の行き詰まりは、私個人に偶然起きた身の不幸ではなくて、私自身を超えた「人間のテーマ」として、私は受け止めることができたからです。つまり、青森の片田舎に暮らす私個人のエピソードを超えて、自分の行き詰まり感や苦労はある意味、世界が抱える現実の行き詰まりにつながっていたのです。


ここに「べてるの家」につながるものがあるような気がする。 自分の孤独や苦しみがどこかで世界とつながっていると感じた向谷地さんがいたから、今の「べてるの家」があるのでは、と思う。


べてるには「弱さの情報開示」「当事者研究」がある。自分の弱さをまわりの人に知ってもらう。それぞれが持つ弱さ、かかえる苦労を皆が知っている。その苦労がミーティングのテーマになり、知恵が生まれ、新しい世界が開けたり、思わぬものが生まれたりする。


自分の辛さは誰にもわからない、とつい思ってしまう。でも自分が今感じている辛さはどこかに繋がる。自分の弱さや苦労が人と自分をつなぐものになり、皆が思いを語るなかで知恵が生まれ、自分を助ける方法を見つけていく。絶望しなくてもよいのだ。「苦労」は「不幸」ではない。克服したり、成長したり、成功したりしなければいけないと思う必要はないのだ。