浜岡原発は、決して「福島」にはならないという説明会

JAN JAN Blog 2011年4月7日
この記事を書いている川上武志氏は30代の頃には10年間近く各地での原発労働に従事し、2003年8月10日から2008年9月6日までの5年間余り、浜岡原発で一労働者として働いていた。

4月6日の夜7時から、浜岡原発のお膝元である御前崎市佐倉公民館において、中部電力による住民説明会が行なわれた。今回の説明会では、福島第一原発地震のあとの巨大津波によって重大な原発震災を引き起こしたという事実から、津波対策の話のみに終始していた。

地元の人々の気持ちの中に、浜岡原発が止まると電力が足りなくなるのではという心配がある。でも昨年夏、例年以上の猛暑だったのを皆さんも記憶しているだろうと思うが、その昨年夏、浜岡原発のすべての原子炉が停止していた時期があったが、停電はもちろんのこと節電の呼びかけもなかった。つまり浜岡原発が稼動していなくても、電力は充分に足りているのである。原発の依存率が東電の場合は50%だが、中電ではわずか15%なのだ。だから、全基停止してもほとんど影響はない。それに、東京電力の場合も停止している火力発電所を再稼動させれば、夏場の電力は賄えると言われている。

説明会のあとの質問では、中電に対する厳しい言葉が飛び交い激しい議論になるだろうと期待していたが、まったくの期待はずれであった。率先して声を上げて欲しい若者の姿は会場内にあまりにも少なく、それに相変らず浜岡原発の立地する御前崎市佐倉地区の住民たちの態度は、呆気に取られるほどおとなしいものだった。まるで、質問者と中電の間に事前に打ち合わせがなされていたのではと疑われるほど、冷静でありきたりの質問が会場内に響いていたのだった。

それに、この住民説明会を主宰しているのが、住民の代表を標榜する「原子力発電所佐倉対策協議会(通称・佐対協)」というのも大いに問題であった。中電との交渉窓口として発足したこの組織は、以前から黒い噂がしきりに囁かれていた。まさに中部電力との癒着にどっぷりと浸かり、実際に数億円という多額の金銭を受け取っているのは、地域住民ならほとんどの者が周知していた。その中で、「東海地震の危険のある浜岡原発は、即刻原子炉を全基停止すべきだ!」と声を上げたのは、御前崎市議の清水すみお氏たった1人だけだった。

清水市議が説明会で声を張り上げたように、私たちが声を枯らして停止して欲しいと訴え続けているのは、浜岡原発の救いようのないほどの地盤の脆弱さゆえである。私の知り合いの地質学者によると、一般的に相良層と言われている浜岡原発の地層はどちらかと言えば比木層に近く、砂岩と粘土層の互層でできている。固い岩盤などどこを捜してもなく、特に5号機の地層がもっとも軟弱だと言われている。2009年8月に発生した駿河湾地震の際にこの最新原子炉はとんでもない弱さを露呈し、50数ヵ所とも言われる損傷や不具合が発生した。この50数ヵ所というのは中電が発表した数字であり、実際はもっと多かったものと思われる。それに放射能漏れで多数の作業員が被ばくし、大気中に高濃度の放射能が放出されたのだ。

原発内で発生したことは、一般の人に積極的に知らせることも報道されることもほとんどない。だから放射能漏れ事故が遭ったことを多くの人が知らなかったと思うが、でも実際に起こった事柄なのだ。駿河湾地震のときに異常な揺れが発生した5号機の地下には、「低速度層」と呼ばれる揺れを増幅させる地層があると中電は説明していた。この「低速度層」とは、中電の造語である。とにかく、揺れを増幅させる地層があることだけは認めたが、それに対して対策を講じるわけでもなく、同じ穴のムジナと思われる原子力安全・保安院のお墨付きが出たといって慌てて運転再開してしまった。

浜岡原発が、その危険を叫ばれ続けていたことを古本屋の殴り書き(書評と雑文)を通して初めて知った。 原発に反対する人はずっと前から声をあげている。 私は聞こうとしたことがなかった。 今回の福島原発の事故がなければ、今も何も知らず、知ろうとせず、過ごしていたと思う。 


浜岡原発は2009年8月の駿河湾地震で想定外の揺れを受けたが、中電は、地層再調査で5号機の下に「低速度層(柔らかい地層)」があったと説明。今まで、頑固な岩盤だと言い張ってきたが、それが間違いだった事を認めた。(清水すみお市議の議会報告より) 「地震があった後で地質を調べてみたら、実は柔らかい地層でした」って冗談でも許される話じゃないと思う。 どこまで調べたうえで「安全」と言っているのか、もう全然信用できないんじゃいだろうか。