「津波3メートル」は誰が言ったのか

カレイドスコープ

陸前高田市の住民は防災無線の「津波の高さは3m」を信じて、逃げなかった人が多かったようです。以前にも3mの津波は経験済みで、今回も「たいしたことはないだろう」と思い込んでしまったのです。


津波で壊滅的な被害を出した宮城県南三陸町の場合も、最初は「津波の予想される高さは3mです」と放送していました。
しかし、防災センターに勤務する一人の女性職員が最後まで呼びかけることによって、大勢の人が避難できたのです。


津波の予想は3mです、」…「津波は6mです、早く避難してください」…「津波は10m以上です、早く近くの高い場所に避難してください」…「津波は、今堤防を越えました、逃げてください、逃げてください…」


この女性職員、遠藤未希さん(25歳)は、最後まで呼びかけました。そして、防災センターは、津波に飲み込まれてしまったのです。


避難センターで、一息ついた町の人たちは、「あの放送が無かったら、私たちは生きていなかった」と言います。


上の動画は陸前高田市消防団員が港で津波が襲来する様子を撮影したものです。
消防団員といえども、「津波は3m」を信じていたのです。


津波が到来しても避難する様子がありません。


街の人たちは歩いて避難しています。背後にすぐ津波が迫っているのに、「みんな、慌てていない。だから、ここまでは来ないだろう」と、ここでも多数派同調バイアスが働いているのです。


そして、町は壊滅。


釜石でも、気仙沼でも、みんな「津波3m」を信じて逃げ遅れた人が大勢いたのです。


いったい、誰がこんな誤報を流したのでしょう。


それは、なんと気象庁でした。

東日本大震災津波を知らせる防災行政無線の放送内容は、被災した沿岸自治体ごとに違っていた。


予想された津波の高さを知らせず、「とにかく逃げて」と訴えて功を奏した自治体もある一方、「高さ3メートル」と放送したため、2階に避難すればいいと判断して被災した人が多い自治体もある。


3月11日、気象庁地震発生3分後の午後2時49分に大津波警報を発令し、1分後に岩手県には高さ3メートルの津波が来ると予想した。


これを受け、岩手県釜石市は午後2時50分と同52分に「高いところで3メートル程度の津波が予想されます。海岸付近の方は直ちに近くの高台か避難場所に避難するよう指 示します」と市内96カ所のスピーカーで放送した。
気象庁津波予想を、午後3時14分に6メートルと切り替え、同31分に10メートル以上とした。しかし、市は停電で気象庁情報を伝えるメールを県から受け取ることができなくなっていた。この間、避難を指示する放送を6回繰り返した。

asahi.comの記事から転載

東北の大都市・仙台市の場合は、津波予報の上に、危険な避難所に誘導されて亡くなった人が大勢いました。
何度も、同じ過ちをしているのです。
間違ったハザードマップが大勢の人たちの命を奪った


こういうとき、自治体が必ず言うこと、

「あの状況で精一杯やった。」「次に、この教訓を生かしたい。」


災害が起きるたびに、この言葉を繰り返してきました。


遠藤未希さんは、結婚してまだ1年と経たない新婚さんだった。 彼女も最初は命を奪われるほどの津波が来ているとは思わなかっただろう。 「10mの津波がきています、逃げてください」と放送しながら、彼女の脳裏に浮かんだのは愛する家族の顔だっただろうか。 


彼女の犠牲は美談で終わらせてはならない。 彼女は最初から命を捨てるつもりだったわけではないと思う。 お母さんの話では、仕事のための資格を取ったものの、「やっぱり地元で働く。」と言って防災センターに就職したとの事、育った町を愛し、家族を大切にする優しい娘だったと泣いていた。 


どれほど家族のもとへ行きたかっただろう。