アフリカのチェ・ゲバラ、 トーマス・サンカラ国連演説

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西アフリカにブルキナファソという国がある。 1960年に「オートボルタ」として独立した内陸の小国で、最貧国の1つに数えられていた。 非識字率は90%以上、乳児死亡率は1000人あたり280人と世界の最高で、1人あたりの平均年収は150ドルにすぎない。


以前の宗主国だったフランスに事実上管理され、3万8000人いる役人が国家予算の70%を自分たちの給与にあて、10月に予算を使い果たすと外国の援助に頼り切るというありさま。


また全住民には多額の人頭税がかけられており、支払いができない世帯には村の徴税係が容赦なく家財や牛・ヤギ・農産物などを取り立てた。 差し出すものがないと強制労働に従事させられたり、女性が未納税のツケとして要求されたりしていた。 そこに登場したのがトーマス・サンカラである。


トーマス・サンカラは1983年に33歳で大統領になった。 それからわずか4年の間に改革したことは、以下のような事が含まれる。
 

・政治家や官僚の汚職・腐敗の取り締まり
人頭税の廃止
・250万人の児童へのワクチン接種実施
・砂漠化防止のための、1000万本の植林による森林再生
・教育改革による識字率の向上
・農民への土地の再配分
・貯水タンク・ダム・鉄道などのインフラ整備
・女性の地位向上
・それまで公用車として使用していた高級車のメルセデスベンツを売却し、大衆車のルノーへの切り替え
・国名を「高潔なる人々の土地」を意味するブルキナファソに変更

 
これらの改革によりこの国は激変する。 農業生産は急増し、国家支出は大幅に削減されたのだ。 そして1984年10月、ニューヨークで第39回国連総会が開催され、以下の演説を行った。

「わたしは、
 愛するブルキナファソの人々を
 代表するだけではなく、


 世界の片隅で、もがき苦しんでいる、
 すべての人々を代表して語りたい。


 黒い肌をしているだけで、
 あるいは文化が異なるというだけで
 ほとんど動物と変わらない扱いしか受けていない
 この数百万人のゲットーにいる人々を代表して
 わたしは語りたい。


 男性によって作り上げられた
 システムによって苦しんでいる、
 すべての女性を代表して、
 わたしは語りたい。


 マラリヤや下痢といった
 簡単に救う方法があるにもかかわらず、
 貧しさや、知識の不足から、
 子どもたちが死んでいくのを目の当たりにしている、
 すべての母親たちのために、
 わたしは語りたい。


 お金持ちの人々のショールーム
 武装された警備で守られている厚いガラス窓を、
 いつも、お腹を空かせて見ている貧しい子どもたちのために、
 わたしは語りたい。



 わが国は
 人類のすべての苦悩を統合したような
 苦しみに満ち溢れている。

 だが同時に、
 戦いの希望にも満ち溢れている。


 死の商人たちが独占している
 最新の科学技術、
 それをじっと見つめる
 不安げな病人たちに代わって
 わたしは打ち震えるのだ。


 そしてわたしは、
 自然破壊の犠牲となったすべての人々、
 飢餓という恐ろしい武器によって死に至っている
 年間3000万人の人々に思いを馳せている。


 世界中の国際会議で発言しようとしているすべての人々、
 彼らの声が届くように、
 そして真剣に問題を取り組むために、
 わたしはここに立ち上がる。


 この国連の会議の場で、
 わたしの前では多くの人々が発言してきた。

 そしてわたしの後にも発言者が続くであろう。


 しかし、建前上はみな平等の権利をもって
 会議に臨んでいるとしても
 実際の決定権を握っているのは
 ごく少数の人々だけである。


 だからこそわたしは、
 世界中の国際会議で
 発言しようとしているすべての人々の
 声が届くように、代弁者となろう。


 そう、わたしは
 世界で見捨てられているすべての人々のために語りたい。

 なぜなら
 わたしは人間であり、
 人間である限り、
 わたしと無関係ではないのだから


 わたしたちの望みは、
 他の人々を排除するような
 黒人の世界を作ることではない。

 黒人として、わたしたちは、皆さんに伝えたい。

 『どのように、お互いを愛するかということを』

 ("As black people,
  we want to teach other people how to love each other.")」


1987/10/15、サンカラは暗殺された。 犯人は今だ公式には明らかになっていないが、確実視されているのは、ブレーズ・コンパオレ、かつてのサンカラの盟友・右腕にして、現大統領である。


サンカラの暗殺後、結局ブルキナファソは政治腐敗・それと表裏一体の外国の支配・浪費的国家財政・寄生的官僚主義・慢性的飢餓・絶望する農民たちという「普通のアフリカ」へと戻ったのであった。


サンカラは暗殺の危険性を予知していたのかもしれない。 死の1週間前、彼は国民に向かってこう述べていた。
 

「個人として革命家を殺すことはできても、その思想までは殺すことができない」