てんかんについて

てんかん報道(特に、報道関係者のかたへ)より


てんかん患者は人口比100人に1人の割合で存在し、一生のうち一度でもてんかん発作を起こす人は100人に10人の割合で存在します。まったく「稀なる病気」ではなく「ありふれた病気」なのです。
そうは言っても身近にてんかん患者などいない、というのであれば、なぜてんかん患者が見当たらないのか考えてみてください。
理由のひとつは、てんかん患者であることを告白・告知することで受けるであろう偏見や差別を恐れ、これを口にしない患者がほとんどであることが挙げられます。いまだにてんかんであることが知られたことで、就職ができなかったり、解雇されるのは珍しくないのです。仮に職業上の不利益を被らなかったとしても、あざ笑われたり、特殊な目で見られることを患者は恐れています。
ふたつめに、抗てんかん薬の服用によって多くのてんかん患者は発作を抑えることができるためです。もし100人に1人も存在するてんかん患者が発作を抑えることができなかったら、一日のうちに何度も、あちこちで、発作を起こしている人を目撃することになるでしょう。
みっつめに、てんかんとは「泡を吹いて倒れる」のではなく、このような大発作を起こす者もあれば、他の様々な発作を起こす者もいる病気だからです。現に私は情動発作という症状を持つ患者で、これは鬱などと外見的に似ています(より複雑な説明を要しますが、ここでは省略します)。みなさんは、「ちょっと意識が飛んでいた(ぼんやりしていた)」と言う健康な人を見かけたことがあると思いますが、実はこれもてんかん発作なのかもしれないのです。

てんかん」という病名を言うな、書くな、と言いたいわけではありません。
むしろ「てんかん」という病名と、この病気の正しい情報を伝えていただきたいのです。
病気の正しい情報を伝えるには、番組(紙面・誌面)の特性がそぐわず、時間(文字数)が必要で、スキャンダラスに興味を喚起できず、視聴者(読者)の感情に訴えるものがない、と反論されそうな気がします。
しかし、ご遺族のかたがたが大いなる悲しみを抱いているのと同時に、てんかん患者と親族はこの報道のありかたにつらい思いをし続けているのです。
てんかんという病気にまつわる交通行政、裁判の行方の報道こそ、公益性があると言うのであれば、おそらく有史以前から恐れの対象とされ続け、当人も親族も悩みと不利益を被っている「てんかん患者問題」と「てんかんについての正しい情報」にも公益性があるのではないでしょうか。
そして、クレーン車暴走事件にまつわる報道は、「てんかんについての正しい情報」の提供と一体になってこそ問題の本質があきらかになり正確性が増すはずです。

報道機関がクレーン車暴走事件について伝えるたび、当ブログのアクセス数は格段に伸びます。そして潮が引くように、翌々日あたりから通常数に戻ります。アクセス数だけでなく、てんかん患者全体を批難するメールも堰を切ったように届き、これも数日でいつも通りの数になります。Twitter を飛び交う発言にも、ヘイトスピーチがあふれました。
これらは事件が思い出されれば当たり前の反応かもしれませんが、私には「てんかん患者が何人も殺した事件」という情報(スキャンダル)がいたずら消費されている様に感じられてなりません。報道が「怒り」や「不満」のはけ口の引き金を引いている可能性をまったく否定できないのです。
これら「怒り」や「不満」をぶつける対象を見つけ出したい人たちは、一時的にてんかん患者を標的にするだけでなく、中には憎悪とも言える意識を末永く持ち続ける者もいて、これではてんかん患者は救われません。