「孤立死か 77歳の母と障害の息子、横浜で昨年末」
横浜市旭区中希望が丘の住宅で昨年12月、2人暮らしの母親(77)と重い障害がある息子(44)が相次いで病死していたことが17日、神奈川県警旭署への取材で分かった。
同署によると、息子が通所していた福祉施設の職員が、2日続けて母親が電話に出ないのを不審に思い、昨年12月6日に自宅を訪問。トイレの窓から中をのぞいたところ、あおむけで倒れている息子を見つけ、110番通報した。駆けつけた同署員が、台所で倒れている母親も見つけた。
解剖の結果、母親の死因は解離性大動脈瘤(りゅう)破裂、息子は肺気腫などによる呼吸不全。母親は死後約1週間、息子は前日に死亡したとみられる。
同署によると、息子は小児まひに加え、知的障害もあり、一人で歩いたり食事をすることができなかった。息子が昨年9月まで通所していた福祉施設の女性所長(48)によると、昨年7月に父親が病死した後、同施設に通う回数が減り、同年9月には母親から「通うのをやめます」と電話で連絡があった。母親は区役所の職員に「夫を亡くして忙しくなり、息子を朝起こして施設に通わせるのが大変になった」と説明したという。
所長らは通所の再開を勧めたが、母親は「困ったことはない。大丈夫」と断り続けたという。所長は「『困っている』といってくれたら支援できたが、『大丈夫』といわれると介入のしようがない。本当に悔しい」と唇をかんだ。
親子は2人暮らしだったため、民生委員の訪問の対象外だった。
「あきらめない 働くあなたに贈る真実のメッセージ」村木厚子著
「どんなに悪いことがあってもあきらめない。人生に何があってもリカバリーできる」
「郵便不正事件」で無実の罪に問われ、逮捕、164日間の勾留をされながら、耐え抜いて、
無罪を獲得した、その「あきらめない心」の秘密を、本人が明かした初の著書。
賢明に、しなやかに、毎日をまじめに生きてこられたのが伝わってくる。 それにしてもこんな誠実そのものの人が逮捕されるって…と思う。
3.11
去年、あの津波が起きた時、私は息子とたまたま学校帰りに家電店にいた。 用事を済ませて帰ろうと思いテレビ売り場の前を通った時、何十台もの大きなテレビスクリーンに一斉に津波の映像がうつされているのを見て、最初はわけがわからなかった。 「地震による津波」が、東北で起こっているとわかり、愕然としたのを覚えている。 帰宅しても気が動転して落ち着かず、とりあえず母に電話して、関東方面の親戚や知人で無事がわかった人がいるか聞いたりしたが、これから起こるであろう余震やいろいろなことを考えるといてもたってもいられない気持ちになった。 被害が少しでも小さく済むように、犠牲になる人が一人でも少ないように、ただただ祈った。
私は神戸で地震を経験したが、津波は全くわからず、想像もつかない。 どんなに怖い思いをされたことだろう。 大好きな家が、町が、ヘドロまみれになるのを見るのはどんなに悔しいだろう。 今まで見慣れた景色が突然変わる、ということの精神的なショックやダメージは大きい、という事を私は自分の経験を通して知った。 破壊された家や街を見なければいけない、というのはかなり辛い。 当時私が思ったのは、自然災害で家や町が壊れてもこれほど憤りを感じるのに、戦争で自分の住む家や村が破壊されたらどれほどの憎悪を持つだろう、という事だった。 「意図的」に殺す、誰かの生きる環境を壊す、ということがどれほど酷い、許されないことか、そういう事を度々感じた。
神戸で被災した時、私はテレビを持っていなかったし、携帯もネットもない時代だったから、情報源は固定電話とラジオだけというシンプルな生活だった。 その後結婚して、テレビのある生活になり、ある年の1月に「あの地震から●年」みたいなドキュメンタリー番組を偶然目にした時の自分の反応に驚いた。 座っていることができなくなり、うろうろしながら涙が出てとまらず、パニックと言えば大げさだけど、自分でもどうしていいかわからなくなった。 今でもそういう特集番組のようなものは見たくないし、被災地へ行って「一年たちましたね」みたいなインタビューをするメディアは本当に慎重に行って欲しい。 どんな思いでこの一年を生きてきたか、想像したって出来るものではない。 前を向いて生きる事は大事だと思うし、必要なのだと思う。 が、まだ喪に服したいと思う人の気持ちも同じくらい大切だと思う。
R&Bシンガーのアーロン・ネヴィルのアヴェ・マリア。 彼も2005年のハリケーンで自宅が全壊。 ぜんそくの持病があり、故郷のニューオーリーンズへしばらく戻れなかった。 70歳を超えた今も現役で、刑務所を訪ねて歌ったりしている。 とても優しい、温もりのある声が好き。
佐野有美/歩き続けよう
今日娘がテレビを食い入るように見ていた。 「奇跡体験!アンビリバボー」で、「生まれつき手足のないチアリーダー」として紹介されていたのは佐野有美さんというとても笑顔の素敵な女性。
彼女の溌剌とした姿に、友情に、めちゃくちゃ感動した。 ノートに書いた詩が、あるプロデューサーの目にとまり、歌になった。もともと有美さんが歌う予定はなかったが、「この歌は本人が歌うべき」とのプロデューサーのすすめで昨年CDがリリースされた。 本格的に歌うには、手足がないと力を入れるのが難しいらしく、彼女にとっては簡単なことではなかったそうだ。
ブログ「笑顔は最高のおしゃれ」も元気一杯。
歌と共に、彼女の幼いころのビデオや、チアリーダー部の仲間に抱きかかえられてポンポンでハートマークを作る映像が流れる。