「巨大化するアメリカの地下経済」エリック・シュローサー著 その1

巨大化するアメリカの地下経済
エリック・シュローサー 宇丹 貴代実
草思社
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本書は「マリファナの狂気」「いちご農場にて」「わいせつの帝国」の3つのエッセイが収められている。それぞれ読み応えがあるが、約9ページの「はじめに」だけでも勉強になる。(引用はどちらも「はじめに」より)

国家の担うべき役割と、自由市場に課すべき制限が、本書の主たるテーマとなる。アメリカの政治制度も、アダム・スミスが唱えた経済制度も、自由を高らかに謳っている。1776年の独立よりこのかた、アメリカ人は自由のためなら死をかけた戦いをもいとわないできた。自由は悪だと考えるアメリカ人を見つけろと言われれば、相当な困難を強いられるだろう。だが、それよりもはるかに答えのむずかしい問題がある。だれにとっての自由か、ということだ。政府は労働者、雇用主、どちらの自由を守るべきか。消費者の自由か、それとも製造者の自由か。まわりと同じ生き方をする選択する多数派の自由か、ちがう生き方を採る少数派の自由か。

自由論者の主張がいかに善意にもとづいていようと、ある集団に制限のない自由を与えることは、ほぼ例外なく、べつの集団の自由を否定することになる。


カリフォルニアのいちご農場での過酷な作業を担っている人の多くはメキシコからの不法入国者であり、彼らの低い賃金や劣悪な労働状況だけ見ると、雇い主である小作農がひどい人間のように見えるが、実は小作農は生産者からさらにひどい目にあっている場合が多い。


ある小作農はもともといちごの摘み手だったが、ある日“農場経営者”にならないかと声をかけられ難解な契約書にサインさせられ“小作農”となる。小作農の中にはスペイン語しか読めない人や、英語が読めても契約書の法律用語は理解できない人が多く、あとから不利な条件に気がついても手遅れになる。不法入国者を雇うのは小作農であり、生産者からのわずかの報酬から摘み手に賃金を払うとほとんど現金は残らず、しかも生産者から肥料代だなんだと借金まで負わされて身動きできなくなり、摘み手に賃金を払えないという事態までおきる。摘み手より生活に困窮している小作農が多いのだ。


生産者の中には小作農や摘み手の事を考え、労働に見合う報酬を出す人もあるが、それはかなり少ない。儲けることだけを考える生産者は詐欺まがいの事をしてまで小作農から搾り取る。そのつけは摘み手に及び、季節労働者の多くは住む家もなく野宿をして過ごす。