「巨大化するアメリカの地下経済」エリック・シュローサー著 その2

巨大化するアメリカの地下経済
エリック・シュローサー 宇丹 貴代実
草思社
売り上げランキング: 408073

著者のエリック・シュローサーは季節労働者の野営地を訪ね、フランシスコという18歳のいちごの摘み手をしている青年の話しを聞く。朝4時半から働き、雨漏りする小屋(テントに近いもの)で寝るので、夜に雨が降った翌朝はずぶ濡れのまま働きに出て、太陽の熱で服を乾かす。

その夜、車でモーテルにもどりながら、わたしはオレンジ郡の住民の事を考えた。我が国でも飛びぬけて裕福な郡の住民たち−家庭中心の伝統価値観を重んじていながら、投機に失敗して破産し、自分たちの子どもの教育費として税金があがるのをよしとせず、郡の借金返済をよしとせず、不当なしうちを受けたと嘆き、自分たちの抱える問題すべてを不法入国者のせいにする人たち…。それからわたしは、フランシスコのことを考えた。住民たちの恐怖の的にして犠牲者であり、何カ月ものあいだ、想像しうるなかで最もきつい仕事を一日十時間行って、毎夜地面の上に眠る生活を続けつつ、懸命に金を貯め、故郷の両親のもとに送っている。

長年、わたしたちは、『市場』に服従せよと言われ、需要と供給の法則にあらんかぎりの信頼を寄せてきた。ここで忘れていた、いや見てみぬふりをしていたのは、市場が効率にしか報いないという事実だ。ほかの人間的な価値観はことごとく、邪魔者として排除される。やがて市場は、賃金を、これ以下はないという水準にまでとことん押し下げるだろう。

これまで人間が神のように崇めてきたなかで、野放しの自由市場ほど無情で空疎なものはない。今後、アメリカのあらゆる街の郊外にバラック群ができたとしても、不思議はないだろう。市場の信奉者をもって任ずる人々は、カリフォルニアで何が起きているのか、よく見るべきだ。歯止めをかけないでおいたら、自由市場はどこまでも、飢えて死にものぐるいの安い労働力を追い求める―およそ自由とは言い難い労働力を。


効率至上主義の社会に生まれると、そのおおがかりなゲームの参加者に自動的になってしまうような感じがした。競争に参加しないで生きる自由はあるだろうか。